本日のイラストは「食べ過ぎの人のイラスト(男性)」です。「食べすぎ」はい、なんとか抑えたいんですけどね、難しいですね。
で、ふと気になって人類が栄養(主にカロリー)を容易に摂取できるようになったことで糖尿病が人類の病となったということを聞きますが、一般的な関心事になったのっていつぐらいからなんだろう?と気になりました。ざっくりググってみたら90年ぐらいから重大な疾患として認識されるようになったみたいですね。
90年頃から、糖尿病がより重大な疾患と認識されるようになりました。
糖尿病の医学史と最新情報 https://www.yakult.co.jp/healthist/213/img/pdf/p20_23.pdf
栄養過多による糖尿病と人類の戦いが本格化してから今で約30年ということになるんでしょうか。当然、それ以前から糖尿病自体はありましたし、その研究も以前から行われて来たので、そこからヨーイドンで始まった訳ではないですが。とりあえず「戦いが本格化してから30年」ということにさせてください。
現在も糖尿病の患者は増え続けていて、全世界的に戦いは続いているという状態です。ただ、薬や治療法なども進歩を続けていますし、一つのはっきりした対抗策は見えていて、栄養過多による糖尿病は、適切な食事や運動などでかなり抑え込むことができるというのははっきりしています(遺伝的な要因であったり、栄養過多以外の内分泌系の問題によるものは別として)。30年間ただ、やられているわけではなく、対応方法は見えてきているわけです。それを実行すればよいのです(実行しような>私)。
ここでエントリーのタイトルの話になるんですが、文明が進んで栄養があふれるようになって糖尿病が蔓延したように、現代では情報があふれて何らかの弊害が蔓延するようになるのではないか?逆にすでになっているのではないか?などと考えることがあります。
当然、容易に栄養が取れるようになって良いことがたくさんあるように、より多くの情報の取得が取得できるようになって良いことはたくさんあります。ものすごく良くなっています。基本、世の中は良くなっていってると思います。
そりゃ良いことばかりではなく、弊害も当然あるだろうと。別にそれが病気という訳ではなく(病気という形に可能性もあるかもしれませんが)、何かしらの弊害ですね。
今後、それが無視できない規模になってきたら、人類はその弊害と戦っていくことになると思いますが、栄養過多による糖尿病との戦いのように何十年という感じになるんでしょうか。
でも、歴史から学ぶ的な考え方をするなら、栄養があふれるようになって弊害が生まれたように「情報があふれるようになるって何かあるぞ」と心の準備をすることはできます。それにより、弊害を防ぐこともできるかもしれないし、もし弊害が自分に出ていたとしても少しは早く気付けるようになるかもしれないかな、などと、がっつりラーメンをすすっているおじさんのイラストを見ながら思いましたとさ。
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